AIの台頭で将棋研究が本当に加速しているのかデータから検証してみた

「将棋はAIを使って研究する」

2000年頃にはありえないとさえ言われたAIによる人間超えは2010年代にかけて達成され、今となってはプロアマ問わずAIを使った将棋研究が当たり前になりつつあります。

AI以前の将棋研究は一つ一つの局面/変化を人間が時間をかけて検討しなければならなかったのに、今となってはAIを使えば数分で検討が出来てしまいます。その結果、丹精込めて作られた戦略も一度棋譜に残してしまえば一晩で対策されてしまうようになりました。

ポストAI時代の将棋研究については若手からベテランまで多くの記事を残しています。そして、多くのケースにおいて「AIにより将棋研究は加速した」と考えられています。

 しかし、本当にAIの台頭で将棋研究は加速したのでしょうか。本稿ではデータからポストAI時代の将棋研究がどの程度早くなったのかを測定してみたいと思います

 

【局面のユニークさから見る将棋の戦略の寿命】

本稿では局面のユニークさから戦型の寿命、すなわち将棋研究の速度を測定します。将棋における戦型のブームはおおよそ以下の流れを取ると言われています(参考:将棋の渡辺くん

1.棋戦で使われ棋譜に残る

2.多くのプレイヤーがそれを真似る

3.その過程のなかで様々な変化が試される

4.変化が試されきって閉塞感が出たあたりでブームが終わる

 

プロ棋士が各々の戦型についてどういう考え方をしているかを棋譜から読み取ることは困難です。しかし、ブームが終わった局面は棋譜に現れなくなることを利用すれば局面の出現頻度から衰退の速さを測定することが出来ます。

例えば、ある戦型が流行してから研究されきってプロの棋譜にでてこなくなるまで昔は3ヶ月かかったとしましょう、これが今は1ヶ月ででてこなくなるとしたら研究速度は3倍になったと言えます。

戦型のブームには大小や当たりハズレがある(例えば角交換四間飛車や角換わり48金は息が長い)上に複数の戦型が並行して流行り廃れるので戦型毎の解析を行うのは困難です。そこで、本稿では以下の定義でその年の将棋の研究速度を定義します。

 

1. 各年のプロ棋士棋譜からランダムに100局を選択し、その中の初手30手を対象とする

2.重複していない局面の数をその年の将棋の研究速度とする

 

これは、研究速度がn倍になれば、一定期間ごとに使われなくなる局面の数がn倍になる、使われなくなる局面の数がn倍になればユニークな局面が増える速度もn倍になるという仮定に基づいています。

 

【1.3倍の加速からみる将棋の変化】

さて、上記の評価に基づいて年代別のユニークな局面数をプロットした結果は以下のようになります(図の注釈の意味については後述)

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コンピュータが人間を超える前の2000年前後を極小に、ユニークな局面数はほぼ右肩上をしていることがわかります。そして、おおよそ平均すると、今の将棋の研究速度は1.3倍になったと言えます。

 

プロ棋士が何時間もかけて考えたであろう変化を数分で追えるようになったポストAI時代にしては1.3倍というのはずいぶん少ないような気もします。しかし、私はこの指標はいい線をついていると思っています。というのも、今の時代にもAIに頼らずに将棋を勉強しながら第一線で居続ける棋士が複数いるからです。AIの台頭によって本当に将棋の研究速度が何倍、何十倍にもなるのであれば、ソフトを使わない棋士に勝ち目は残らないでしょう

 

さて、この結果を受けて私は、局面の良し悪しを評価する作業にかかる時間が桁違いに減ったにもかかわらず、研究速度が1.3倍にしかなっていないというのはプロ棋士がサボってるからなのではないかと一瞬思ってしまいました。ですが恐らくこれは間違いです。というのも、プロ棋士は局面を評価解析した上で、それを覚え、理解し、使いこなせるようにならなければいけないからです。

先程の結果から、プロ棋士が対局と対局の合間に覚えてくる変化の数が1.3倍程度になったことが示唆されています。すなわち、他の作業にかかる時間はどうあれ、プロ棋士は今までの1.3倍の時間をかけて変化を覚えているといえます。ここで、プロ棋士の研究時間を局面を理解して覚える時間とそれ以外の時間に分けてみましょう。AIの台頭により局面の解析にかかる時間は桁違いに減ったことを鑑みると以下のように表すことが出来ます。

 

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AIの台頭によってプロ棋士がどのぐらい忙しくなったかは研究におけるX、即ち局面を評価する時間によります。例えばXが研究時間の半分を占めていたなら、ポストAI時代のプロ棋士の勉強時間は以前の65%程度になったと言えるし、逆にXが元から割合として小さいのであれば、ポストAI時代のプロ棋士の勉強時間は以前の1.3倍になったと言えます。

となれば、Xの値が知りたいわけなのですが、私自身は元々ほぼ0であったのではないかと考えています。というのも、AI以前の将棋では局面の評価とは様々な変化を自ら試し、覚えながらやるものであったと推察できるからです。AIの台頭によりユーザが望むのであれば様々な変化を提示/評価してくれる部分はアウトソース出来ますが、その意味を理解し覚える部分は人間がやらねばなりません。つまりこういうことです

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本モデルの正しさを担保する量的な証拠は正直ありません。ただし、今なお将棋ソフトを使わずに研究している棋士が第一線にいることや、多くの将棋棋士がソフトの評価を観るだけでは強くなれないだろうことを示唆していることを鑑みると悪くない予想であると考えています。

本予想に従えば、プロ棋士の研究時間は1.3倍になったと予想することが出来ます。例えるなら、週休2日が週休半日になるようなもので、そりゃ評価値ディストピアとも言いたくなりますわな。

私が考えるAIがもたらしたもの、それは研究の上限の撤廃です。AI以前の時代なら「これ以上考えてもこの局面の良し悪しは解らないので後は指して試すしかないな」といえるような局面もAIが結論を出してしまうが故に無限に研究できてしまうのです。

 

【研究からみる将棋の歴史】

局面のユニークさを評価としたグラフはもういくつかの面白い示唆をもたらしてくれています。まず、1970年代頃の将棋は今の将棋と同じぐらい多様性に満ちていたということです。これは昭和時代の棋士が滅茶苦茶研究していた......のではなく、逆に研究をあまりしていなかったからであると考えられます。

 

times.abema.tv

しかし、1970年の中盤から1980年にかけて局面のユニークさは急激に減ります。これをもたらしたのは勿論、羽生世代......ではなく、中原、米長、加藤(ひふみん)あたりの時代です。即ち、中原研究会、米長道場、島研究会が出てくるあたりの時代です。研究会によって有力な序盤戦略が進み多様を極めた序盤戦略が淘汰された時代です。こうして振り返ると、世代や出身の垣根を超えた研究会という概念が如何に将棋界にパラダイムシフトをもたらしてきたかがわかります。

 

さてもう一つ、2010〜2014年近辺にも多様性が減った時代が一時的に現れています。これは恐らく横歩ブームによるものと思われます。21世紀のプロ棋士の戦型の分布を見てみると以下のようになっています。

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ご覧の通り、2010〜2015年頃にかけて横歩が流行しているのがわかります。横歩は盤上この1手な局面が多く、横歩が流行ればユニークな局面が減るというのは感覚的にも妥当なものと思われます。さて、この時代の横歩のマイスターと言えば佐藤天彦九段。名人戦叡王戦でも活躍し、その横歩研究はコム将棋界にも大きな影響(横歩定跡による殴り合い)をもたらしました。氏は今のAI将棋時代を評価値ディストピアと名付けたことでもちょっと知られていますが、第二のブームを引き起こすことで再び将棋研究に大きな風穴を開けてくれることを願っています。

 

【まとめ】

本稿では将棋研究の速度の年代別の変化を測定し、今の将棋のブームの移り変わりの速度は2001年頃に比べて1.3倍程度になったことを示しました。また、その歴史的な変化を見ていくことで研究会文化の影響や横歩ブームの存在を見て取ることが出来ました。

将棋の進化は今後も止まることはないでしょう。将棋指しは年々強くなり続けていますし、将棋ソフトにもまた、さらなる進化をもたらしていくつもりです。

雨後の筍のようにAIが騒がれる時代。他よりひと足早くシンギュラリティを迎えた将棋界は未来の試金石でもあると考えています。コム将棋の発展が将棋界全体に役に立ってくれることを願ってやみません。